今日はお客様が、「15日の夜の予約できますか?」といってくださり。
私が「15の夜ですね。大丈夫ですよ。」といった後に「尾崎豊・・・(笑)」
って言ったら。
お客様が「バイク乗ってきますねw」と言って。
私も「盗んだバイクで(笑)」
みたいな。
「窓ガラスは割らないでね(爆)」
って、こんなことでケラッケラ笑える。お客様がいてとても嬉しい。
ね。
こんな笑える日があるなんて、なんて幸せなんだろう。
あの日はそんなことは思えなかったんです。
そう。5年前。私は仙台にいました。
今になって、「何日前なら、あの地震にあっていたかもしれない」とか、「何日後なら、車が流されていたかもしれない」という方もいらっしゃいますが。あの地震にあっていれば。
「たまたま、こうでよかった」
と、思うことが多いんです。もちろんそうじゃない方もいるかもしれませんが、どうも、そう思うことしかなかったのですね。全てが一瞬で当たり前じゃなくなったのですから。
私たちは。
「スタッフ全員出勤しててよかった。」
それが一番でした。心配事を何よりも1つ減らせた。
生死の確認が何よりも恐ろしかったのです。
3月11日は、揺れた後の余震におびえながら、スタッフ全員で、1本のライターと、1本の懐中電灯をもとに、お客様の持ち物を運び出し、お客様にすぐに帰っていただくように動き。
スタッフにも「無事でな」「何かあったら連絡してね」と。各家庭に戻し。
私は社長と私の部屋へ。私の部屋は1階だったので揺れは比較的少なかったので。私の部屋で一晩過ごしました。
ろうそく1本で、たくさん割れ物が落ちていたので、土足で生活。何も見えないから、家の中でも怖い。
そんな気持ちでした。夜になってワンセグで津波の恐ろしさを見ました。
1週間ほど経って、電気が復旧したときに、店を開けに行きました。
その前から割れ物などを片付けに行き、壊れた食器棚などを外に出したりして。
メルマガで、
「TENka 電気復旧。プロパンガスあり。水道あり。給水・洗濯。シャワーの提供始めます。」
と、送りました。
瞬間から、電話が鳴りっぱなしです。まるで、クレームの多い会社並みに電話が鳴り、お客様とお客様の家族が押し寄せました。
お客様の中には、石巻の出身のお客様が泣きながら。
「お母さんが・・・見つからない。。」と抱きついてこられ。。
なんと言っていいのか分からない状況になってしまったことを思い出します。
2週間休みなく、ボランティア提供を続け、朝から晩まで、社長とお店を回し続けました。
もちろん売り上げなんてありません。
そんな状態だったのです。社長に動かされました。彼女の原動力についていくしかなかったのです。
3月31日知り合いの石巻の企業さんに、物資を持っていくため、石巻に向かいました。
ひどい状況に、息をのみました。何かできること。と、身に染みた。
ZZASHIKIWARASHIから、「揖保乃糸」がアホほど送ってきました。
びっくりです。当時していた。mixiで炊き出しに必要なものは勝手に集まってきました。
すごいSNS。
慣れない炊き出しに戸惑いつつも、たくさん提供できた。座敷感謝。
毎月2日間のボランティアを通じて、いろんなことに気付いた。
最初に行った「牡鹿半島」の避難所で防災の隊長さんに
「1回じゃボランティアって言わねんだぞ」と言われた。その通りだと思った。
1回目だったから、ハイとも、ごめんなさいともいえない心境だった。
スタッフの精神力も高まった。
それからは毎月。みんな早起きして。
マッサージが必要なければ、泥かきしよう!って、長靴と耐油手袋も持って行った。
でも、並ぶほどマッサージに来てくれた。2度目に行った避難所には、リピーターが多くて大変でした(汗
辛いこともたくさん吐き出してもらった。
気を使って、見てるだけで、マッサージを受けないばぁちゃんにも、スタッフは歩み寄り、肩もみしながらお話しした。優しい時間を過ごせた。
5年一区切りと言われますが、いつも、心は「東北とともに」あります。
幸せな日がたくさん訪れますように。祈り続けます。
滋賀県 アジアンリラクゼーション専門店
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「2011年3月11日14時46分から、5年。」への1件のフィードバック