依存とかを考えた。

リオデジャネイロ・パラリンピックの閉会式。

 

素晴らしいものでした。お仕事の時間でしたので再放送で見ましたが。素晴らしかった。

ある記事で見ました。

もう、その記事は探し出せなかったのだけども。

「障害のない人のほうが依存しているのです」

という内容のものだったと記憶しています。

 

本当にこの閉会式のかっこよさと言ったらない。

あらゆるものに依存出来ている。むしろ、させてもらっている。とも思うほど。感動した。

「彼らは、彼らの力で生きている」と思う。素晴らしい閉会式でした。

 

私たちは、五体満足で

見えるから、情報を持ち。匂えるから、美味しいものを食べ。味わえる。

聞こえるから、環境や常識を知り。

話せるから、コミュニケーションを持ち。

歩けるから、好きなところに行き。

手があるから、器用な仕事が出来る。

 

見えるから、スマホが見れて、聞こえるから好きな音楽が聞けて、話せるから困ったときに誰かに聞くことが出来て、歩けるから運転も出来るし、衝動的に動けるし、手が動くからスマホもPCも使える。

その一つでさえできなければ、と思うと。

 

そう思うと私たちは、とても依存して生きている。

使えるから。

と、内臓を酷使し。

出来るから。

と、体力を消耗し。

過剰に、依存できる魂を燃やしている。

もしくは、燃やしていない、

なんて、そんなことにさえ、背徳感を感じる。

そして、また繰り返す。

 

障害が。人を強くする。

 

と、まざまざと感じさせられる。閉会式。

 

障害がなくても強くなろうぜ。

 

なれよ。

 

と、自分を鼓舞せずにはいられない。そんな閉会式。

もっと、甘えて。

もっと、燃やして。

 

強くいきたい。と、おもった。今日のひとときでした。

 

命を、燃やそ。

 

と、ひとりごと。

 

皆様が、ありあまる豊かさと、優しさに包まれますように。

元気いっぱいになりますように。

感謝。

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